Ginza : 銀座(中央区)

銀座(ぎんざ)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区の地域にある。郵便番号は104-0061

東京都中央区の西部に位置し、西を千代田区、南を港区に接する。北側より銀座一丁目から銀座八丁目まで存在する。

江戸時代以前、現在の丸の内から日比谷にかけては日比谷入江と呼ばれ海になっており、その東には隅田川の運んできた砂によって江戸前島という砂州が形成されていた。その先端が現在の銀座にあたる。

かつては、東を三十間堀川、西を江戸城外堀、南を汐留川、北を京橋川に囲まれた人工の島であった。
現在は、南東側を現在の首都高速都心環状線、その他を東京高速道路にぐるりと囲まれた地域である。

徳川幕府が開かれて、町人地として整備が行われた銀座には、1612年に駿府にあった銀座役所(現在の静岡市葵区両替町一丁目)が移転し、後の1800年に蛎殻町(現在の日本橋人形町一丁目付近)に再び移転するまで、銀貨の鋳造が行われた。

1657年、明暦の大火により江戸は大半を焼失し、銀座も大きな被害を出した。これを機に江戸の大規模な都市改造が試みられ、銀座でも三十間堀川沿いの河岸の増設や、道路の新設による街区再編などが行われた。
江戸時代の銀座は、御用達町人地として発展したものの「職人の町」としての側面が強かった。

銀座に転機が訪れたのは、明治維新後の1869年と1872年に起こった2度の大火だった。
この大火により、銀座一円が焼失した。
そこで、東京府知事・由利公正の主導により、大規模な区画整理と、トーマス・ウォートルス設計によるジョージアン様式の銀座煉瓦街の建設が行われた。同年秋に開業予定だった横浜〜東京間を結ぶ鉄道の終点・新橋駅と、当時の東日本経済の中心地であった日本橋の間に位置する銀座を文明開化の象徴的な街にしたい、との思惑があったといわれる。街路樹(当初は松・桜・もみじ)やガス燈、アーケードなどが造られた。煉瓦街はまず1873年、銀座通り沿いに完成し、1877年に全街区の建設が完了した。

明治維新後に東京へ出てきた人々は、同じく明治に入って急速な発展を遂げた銀座に集うようになり、こうした地方出身者と中産階級の増加に伴って、銀座も発展をしていった。

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